2009年12月28日 (月)

仕事納めの夜に

 仕事で疲れて帰って来て、イライラが治まらない時など、寝る前にお気に入りの映画チラシをまとめたファイルを眺める。なんて書くとどれほどオタクなんだと思われそうだが、これがイライラには一番効くのだ。「映画チラシ大全集」とか「映画ポスター集」みたいな本は昔から大好きで、何時間でも飽きずに見ていられる。さまざまな時代のまだ見ぬ映画、お気に入りの映画に思いを馳せていると、嫌なことも忘れられる。この言葉はあまり相応しくないような気もするが、「癒される」のだ。で、単に癒されるだけではない、明日への活力が生まれてくるのを感じる。

 今日は仕事納めの日で、本来なら事務所の大掃除をしてお疲れさまでした、てな感じであろうが、全くそんな雰囲気ではなかった。このご時世そんな呑気な会社も珍しかろうが、それにしてももう少し心穏やかに仕事納めを迎えたかったものだ。酷過ぎる。

 仕事の愚痴はさておいて。今夜は特にイライラがひどくて、一向に気持が落ち着かないので、件のファイルを開いて見た。数ページめくって、次第に気持が落ち着いてきた。やはり効果は絶大である。

 今夜特に目に留まったのがこれである。荒々しい70年代アクションの中でも、とりわけ無茶な1本と言える「マッドボンバー」。チラシのデザインも荒々しい事この上ない。チャック・コナーズとネヴィル・ブランドの荒んだ顔つき! 「登校の女学生即死 会合中の婦人団体血まみれ 犯人、爆弾抱いて繁華街に逃げ込む」 なんて語呂がいいんだか悪いんだかわからない不穏な文章が踊ってるのも凄い。

 よし、元気が出たぞ! 負けてたまるか!


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2009年12月25日 (金)

「サーチャーズ2.0」(アレックス・コックス)

 アレックス・コックスの近作「サーチャーズ2.0」。売れない中年の俳優2人(デル・ザモラ、エド・パンシューロ)が、子役時代に撮影現場で脚本家に虐待された復讐を果たす為に旅に出る。娘を道連れに、目指すはモニュメントバレー。そこでは、件の脚本家(サイ・リチャードソン)がサイン会を行うというのだ・・・。

 さすらいの映画監督アレックス・コックスがB級映画の帝王ロジャー・コーマン製作の元で作り上げた1作。低予算は毎度のことだろうが、DV撮りというところに一抹の不安を覚えながら見始めた。

 一言で言うと、銃弾の代わりに映画のウンチクが飛び交う現代の西部劇、である。見ている方も「サーチャーズ?、ああジョン・フォードの・・・」てな具合についつい参加したくなる感じ。ウンチクと言ってもそれほど厳密なものではなくて、うろ覚えのまま適当にしゃべってるところもあっておかしい。西部劇の定番テーマ「復讐」への考察も面白い。コックスらしいシニカルなアメリカ批判もあり、ロードムーヴィーとしても十分楽しめる仕上がり。コーマン先生のチョイ役出演もありだ。映像にもちゃんと奥行きが感じられて、先述の不安など全く問題なしであった。クライマックスに繰り広げられる某超有名映画のパロディには唖然とすること請け合い。

 テーマは明快、独自の映像スタイルもある、お話も面白い、緩急自在の演出力もある、90分にまとめあげる構成力もある。アレックス・コックスの映画って普通に面白い映画なんだ。これは声を大にして言いたい。こういう「ちゃんとした」映画が撮れる監督に、誰かちゃんと金を出して、撮りたい企画をやらせてやれって。


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2009年12月24日 (木)

「ロバと王女」(ジャック・ドゥミ)

 ジャック・ドゥミ監督「ロバと王女」(1970年)。シャルル・ペローの童話「ロバの皮」を映像化したミュージカル仕立てのファンタジー。

 CGの発達により隆盛を極める昨今のSF・ファンタジー映画に比べると、何とも大らかで素朴な映像が楽しい。これでいいんだよなあと思う。物語にしっかりした世界観があって、虚構の世界を血肉化できる存在感のある俳優がいて、後は監督に絵心があればちゃんと映画になるのだな。「ロシュフォールの恋人たち」でも感じた、何とも言えないドゥミのユルい感覚はここでも健在で、王様(コクトー作品の常連、ジャン・マレー)が大真面目な顔で白い猫?型の椅子に座ってる場面など思わず笑ってしまう。

 ミシェル・ルグランのミュージカル・ナンバーも美メロ揃いで良いし、何と言ってもカトリーヌ・ドヌーヴが光り輝いている。実はドヌーヴはあまり好きな女優ではないのだけれど、「ロバと王女」の彼女は素晴らしい。彼女の輝きが映画そのものの輝きと直結しているようだ。


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2009年12月22日 (火)

ダン・オバノン追悼

 ダン・オバノンが亡くなっていた。彼が脚本家として関わった映画のタイトルを羅列すると、「ダークスター」「エイリアン」「バタリアン」「ブルーサンダー」「ゾンゲリア」「スペースバンパイア」「スペースインベーダー」etc.・・・。ちょっとグっとくるラインナップだよなあ。ダン・オバノンといえば必ず「監督と脚本家の対立」みたいな記事を目にしたような気がする。重度のマニアだけに思うように映像化されていない不満、勝手に変更されてしまう不満と戦い続けていたのだろう。さておき追悼に何を見ようか。「ゾンゲリア」とか久しぶりに見直してみたいなあ。オバノンのオリジナル脚本がどれだけ使われてるのかわからないけど。

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2009年12月20日 (日)

「シャドー」O.S.T.(ゴブリン)

 今日は1日中部屋に籠って年賀状の作成。今年も残り10日間ほどなんだな。

 なんていう時節ネタとは全然関係のない話。図書館の視聴覚コーナーでダリオ・アルジェント監督の「シャドー」(1982年)のサントラ盤を発見したので借りて聴いてみた。

 音楽はアルジェント作品常連のゴブリン。80年代初頭のゴブリンはメンバーの脱退やソロ活動で分裂状態だったところ、アルジェントの鶴の一声でオリジナルメンバーが集結したのだという。そのせいか、裏ジャケットには堂々と中央にアルジェントが写っている。(下のジャケ写参照) 一番ヤバい顔つきをしているのがアルジェントだ。

 実は、個人的にアルジェントの映画がどうも苦手である。イタリアン・ホラーの中で突出した個性を持つ監督であることに異論はないが、ゴブリンのキラキラした音楽をバックに女が主観カメラで追いかけまわされて、刃物でグサっと殺されてガラスを突き破り絶命する・・・みたいなお得意の見せ場を見ているとどうもアホらしい気分になってしまうのだ。上手く説明できないのだけれど、どこか生理的に合わないみたいなんだなあ。

 そんな訳で「シャドー」も別に好きな映画ではないのだが、こうして音楽だけ取り出して聴くと何だか和むなあ。「シンセサウンド」としか言いようのない(かと言ってジョン・カーペンターともジョルジオ・モロダーとも違う)音楽は映画がどうあれ確かに個性的だ。ああ和む和む。映像より先走って音楽が先に怖がって逃げていくみたいな妙なテンポの良さがおかしい。


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2009年12月19日 (土)

「ミルク」(ガス・ヴァン・サント)

 昨夜の「フロスト×ニクソン」に続いて70年代実録ものをもう1本、ガス・ヴァン・サント監督「ミルク」見る。ゲイの社会的地位向上に大きな足跡を残した伝説の活動家ハーヴェイ・ミルクの後半生を描く。

 これはスパイク・リーにとっての「マルコムX」みたいなもので、ガス・ヴァン・サントにとってきっと特別な題材なのだろうと思う。正に渾身の1作。映像の輝きが違う。キャラクターに注ぐ愛情が違う。堂々たる筆致で70年代後半のアメリカを覆う空気、ハーヴェイ・ミルクという男、盛り上がるゲイ・ムーヴメントを描き切った。とてもいい映画だったと思う。劇中でこんな台詞がある。

「希望だけで生きていくことは出来ないけれど、希望のない人生なんて価値がない」

 普通なら鼻で笑いたくなるような台詞なのだけれど、ちゃんと胸に響いた。それは、この映画に説得力があった証拠だろう。

 ハーヴェイ・ミルクを演じるのは何とショーン・ペン。オネエっぽくならずにさらりとゲイを表現していて、さすがに上手いなあと感心。ミルクの恋人を演じるジェームズ・フランコ(「スパイダーマン」の友人役の彼だ)、ミルクの活動仲間を演じるエミール・ハーシュ(「イントゥ・ザ・ワイルド」)ら若手もとてもキュートな演技を見せる。ミルクのような「大志」が無いために政治家として道を外れていくダン・ホワイトを演じるのは最近進境著しいジョシュ・ブローリン。

 「ミルク」は映像としては正統派の堂々としたものであるが、ところどころ実験映画野郎だったガス・ヴァン・サントが顔を出す場面がある。一番印象に残ったのは、エミール・ハーシュが公衆電話から仲間に電話を掛ける場面。画面分割が始まり、電話を受けた男が映し出される。男がさらに別の仲間に電話を掛け、画面がどんどん増えていって、やがて無数の男たちが電話をしている分割画面でスクリーンが一杯になる。ゲイ・ムーヴメントの熱いネットワークを描いた場面であるが、ここは正にガス・ヴァン・サントの独壇場だと思ったなあ。増殖する画面分割も面白いし、何しろ男たちの映像の輝きが凄い。中には上半身裸の男もいたりして。これぞ作家性。あの場面は良かったなあ。いや、オレはいたってストレートなんですけど。


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2009年12月18日 (金)

「フロスト×ニクソン」(ロン・ハワード)

 ロン・ハワード監督「フロスト×ニクソン」見る。TV司会者フロストと大統領ニクソンのインタビュー対決を描いた70年代実録もの。

 ウォーターゲート事件で大統領を辞職せざるを得ない状況に追い込まれたニクソンであるが、国民に対しての謝罪の言葉は無かった。しかもフォード大統領の特赦で裁判所で裁かれることも無くなった。トークショーの司会者から報道番組進出を狙うフロストは、ニクソンの単独インタビューを企画する。果たしてニクソンから謝罪の言葉を引き出すことが出来るのか・・・。

 関係者のインタビューを再現して見せたりする疑似ドキュメンタリー形式で、ロン・ハワードは「ザ・ペーパー」「アポロ13」などで見せた手堅い演出力を発揮。実にスリリングな映画に仕上がっている。堅めの政治ドラマというよりも、ちゃんとエンターテイメント寄りなのがいかにもアメリカ映画だし、ロジャー・コーマン門下生の一人であるロン・ハワードらしい。深夜の電話とイタリア製靴のエピソードが効いている。70年代ファッションはもうちょっと見たかった気もするが。

 インタビュアーであるフロスト(マイケル・シーン)は内面を見せない野心家のTVマンで、莫大な借金を抱えてテンパってるのを除けば、一体何を考えているのかさっぱり解らない。「悪い政治家から国民への謝罪を引き出そうとする正義のジャーナリスト」などには全く見えず、かなり胡散臭い人物として描かれているのが面白い。
 一方のニクソン(フランク・ランジェラ)は、老獪な政治家でありながら、矛盾に満ちた魅力的な老人として描かれているのが面白い。クライマックスで見せる何とも言えない微妙な表情はフランク・ランジェラ一世一代の名演技。ラストでポツンと取り残されるニクソンの姿を見ると、稀代の悪大統領でありながら、意外にアメリカ人はニクソンが好きなんじゃないかと思ったりした。

 ううむ、たまにはこういうのもいいもんだ。ネタ的にはくるぶし仲間のタイソン佐藤君、キャラハン警部にお薦め。


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2009年12月17日 (木)

読書の話

 パトリック・マグラアを一通り読み終えたので、次は誰を読んでみようかと思案した。マグラアは面白かったけど、ちょっと知的に過ぎるかなあと思う。もっと感情的な小説を読みたいなあと思い、ラッセル・バンクスに決定。早速図書館から借りてきて「狩猟期」を読み始めた。「狩猟期」はポール・シュレーダーが監督した「白い刻印」の原作で、雪深い田舎町で鬱屈した中年男が自爆する話。原作を読み終えたら、あの映画も見直してみようと思う。

 今日は仙台も雪が降っている。「狩猟期」を読むには相応しい天候と言えよう。

 当ブログは「映画=日誌」のつもりで開始したのだが、最近はすっかり「読書=日誌」みたいになりつつある。会社の昼休みと、就寝前の数十分を使って毎日少しずつ読み進み、何とか1週間に1冊ペースを保っている。これはこれでいいのだけれど、ほんとはもっと映画を見たいんだよなあ。

 本と言えば、先日会社の上司から唐突に「本は読むか?」と話しかけられた。ちなみにこの上司とは仕事以外の話などほとんどしたことがない。「読みますよ」と答えたら、「面白いから読んでみろ」とカバーのかかった文庫本を2冊渡された。あんまり深く考えずに受け取って、後で中身を見たら「日本沈没」だった。

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2009年12月14日 (月)

「私をスキーに連れてって」(馬場康夫)

 80年代邦画のヒット作「私をスキーに連れてって」(1987年)。BSでやってたので晩御飯を食いつつ眺める。

 フジテレビ製作で、リゾート地ではしゃぎ回る社会人グループが主人公で、バックにはユーミンのヒット曲が流れて・・・。別にそんな映画があってもいいとは思うけど、いくら何でもこれを映画と呼べってのは無理があるなあと思ったよ。恋愛でも友情でも仕事でもスキーでも何でもいいけど、全ての要素において映画として盛り上がる段取りを全て放棄しているように見える。

 実際、80年代に学生時代を過ごした自分にとって、「ダウン・バイ・ロー」がそうであるように、「未来世紀ブラジル」がそうであるように、「ザ・フライ」がそうであるように、「私をスキーに連れてって」もまた否応無しに同時代の映画なんである。そして、当時も今も自分にとってこれっぽっちもシンクロする部分のない映画であった。


人と比べてみると 幸せちょっと足りないけど 
素敵な店や街、ビーチやゲレンデ知らないけど 
 涙は悲しさだけで出来てるんじゃない

(「涙は悲しさだけで、出来てるんじゃない」byムーンライダーズ)

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2009年12月13日 (日)

「幻影の書」(ポール・オースター)

 ポール・オースターの近作「幻影の書」(2002年)読む。

 オースターと言えば、学生時代に「幽霊たち」(1986年)でショックを受けて以来、ずっと追い続けている作家だ。初期のニューヨーク三部作(「幽霊たち」「シティ・オブ・グラス」「鍵のかかった部屋」)、鮮烈な青春小説「ムーン・パレス」、不可思議なギャンブル小説「偶然の音楽」、等々どれも大好きだ。当ブログの冒頭に掲げた呪文みたいな文章も、実はオースターの「孤独の発明」からの引用だったりする。
 ところが90年代後半になって、「スモーク」「ルル・オン・ザ・ブリッジ」「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」等がどうも好きになれず、ここしばらくはオースターから遠ざかっていた。「幻影の書」を読む気になったのは、どうやら映画ネタだと知ったからである。

 妻子を飛行機事故で亡くした大学教師デイヴィッドは、偶然TVで目にしたオールド・ハリウッドの喜劇俳優ヘクター・マンにのめり込む。ヘクター・マンはハリウッドでの大成功を目前にして謎の失踪を遂げ、以来60年も消息不明だった。デイヴィッドは悲しみを紛らわす為に、世界中のシネマテークを駆け廻り、残されたヘクター・マンの作品を見まくって研究書執筆に没頭する。やがて出版された研究書に対し、ヘクター夫人を名乗る手紙が届く。何とヘクターはまだ生きており、未公開の作品を上映したいと言うのだ・・・。

 主人公の人生の危機を救うのが1本の喜劇映画、とくればウディ・アレンの「ハンナとその姉妹」の一場面を思い出す。自殺を思い立ったウディ・アレンはふと立ち寄った映画館で見たマルクス兄弟を見て、自殺を思い止まるのだった。絶望の淵にあった「幻影の書」の主人公デイヴィッドも、偶然目にしたサイレントの喜劇映画で生きる気力を取り戻す。映画好きならば、まずはここにグッと引き込まれるではないか。

 もちろん、「幻影の書」はそれでおしまいとなるような単純な小説ではない。映画によって救われる人間もいれば、映画によって破滅していく人間もいる。世間を逃れたヘクター・マンがニューメキシコの砂漠に作った彼だけの撮影所の興亡は興味深い。

 劇中に登場する喜劇俳優ヘクター・マンは架空の人物だが、その成功と挫折は正に「ハリウッド・バビロン」の世界。「幻影の書」は、「冷たい心の谷」(クライヴ・バーカー)、「ブラックダリア」(ジェームズ・エルロイ)、「フリッカー、あるいは映画の魔」(セオドア・ローザック)同様に、ケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン」Ⅰ・Ⅱを副読本として読みたい小説だ。

 「幻影の書」は映画マニアを刺激する細部に満ちているばかりか、単純に面白い「物語」だったのが嬉しかった。終盤に至っていつものオースターの例に漏れず暗い展開になるけれど、ラストはいつになく前向きな印象。それがまた嬉しかった。


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«「炎のいけにえ」(アルマンド・クリスピーノ)