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2008年10月

2008年10月29日 (水)

「炎のいけにえ」O.S.T.(エンニオ・モリコーネ)

アルマンド・クリスピーノ監督、レイモンド・ラヴロック、ミムジー・ファーマー出演によるジャッロ「炎のいけにえ」(1974)のサントラを購入。音楽はエンニオ・モリコーネ先生。映画は残念ながら未見なのだが、CDジャケ内には血塗れの男や絶叫するヒロイン、手術台に横たわった死体、首なし死体といった派手なスチールが満載されていて興味をそそる。確か日本版DVDが出ていたと思うので、見てみたいなあ。何しろモリコーネ先生の音楽とジャッロの相性はピッタリなのだ。

1曲目はリリカルな旋律の美メロ・モリコーネ節。残酷な映画にうっとりするような美しいメロディが流れるのはユーロ・ホラーならではの魅力。すると2曲目からは早速アバンギャルド・モリコーネ節が全開! 女性の喘ぎ声、恐怖に怯えた荒い息遣いを楽器のごとく活用したモリコーネ先生お得意の編曲がインパクト絶大。編曲はブルーノ・ニコライ、口笛は名手アレッサンドロ・アレッサンドローニ、ヴォーカルは歌姫エッダ、とお馴染みの面々が参加している。

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2008年10月26日 (日)

「イントゥ・ザ・ワイルド」(ショーン・ペン)

 ショーン・ペンは生まれながらの不良顔を生かし、初期の「バッドボーイズ」「初体験リッジモンド・ハイ」等から、「デッドマン・ウォーキング」等、俳優として独自の存在感を放っている。最新作はガス・ヴァン・サントの新作で、ゲイの活動家ハーヴェイ・ミルクを演じるという。ペンは俳優としての活動と平行して監督として今まで3本の長編を発表しており、「インディアン・ランナー」(1991年)「クロッシング・ガード」(1995年)「プレッジ」(2001年)とどれも素晴らしい。70年代映画(ニューシネマ)に骨の髄まで浸かったような作風、熱っぽい演出には、クサいと思いつつも激しく心を揺さぶられる。実際、「インディアン・ランナー」と「クロッシング・ガード」は恥ずかしながら劇場で泣いてしまったもんなあ。

 そんなショーン・ペンの監督最新作「イントゥ・ザ・ワイルド」(2007)が公開されたので早速見に行く。仙台のミニシアター、チネ・ラヴィータにて。邦題は「荒野へ」で良かったような気もするな。

 大学を卒業したばかりの青年クリス(エミール・ハーシュ)は、卒業祝いに新車を贈ろうという両親(マーシャ・ゲイ・ハーデン、ウィリアム・ハート)の申し出を断り、預金をすべて慈善団体に寄付、家族には何も告げずに一人旅に出る。自分が私生児だったと分かると、名前を捨てて「アレクサンダー・スーパートランプ」と名乗り、ヒッチハイクでアメリカを縦断しながらアラスカを目指すが・・・。

 ジョン・クラカワーのノンフィクションを原作とした148分の大変な力作。若さゆえの無謀さと潔癖さ故に家を捨て、荒野に生きようとする主人公・・・と聞くと「自分探し」ってやつかよ、と吐き捨てたくなるところであるが、そこはショーン・ペン。実に説得力のある映画に仕上がっている。正直言って、ショーン・ペンのあまりの実直さに打ちのめされたという感じであった。ニューシネマ仕込みのざらついた映像、画面分割、音楽の使い方(登場人物の心情を綴ったような歌が流れる手法)、丹念な人物スケッチ、旅のディティール、大自然の中のサバイバル描写も実に面白い。

 主人公が旅の道中で出会う人々が皆リアルな陰影を持った顔つきで素晴らしかった。農園を営む訳ありの男ウェイン(ヴィンス・ヴォーン)、ヒッピーのカップル(キャサリン・キーナー、ブライアン・ダーカー)、革職人の老人ロン(ハル・ホルブルック)・・・。とりわけハル・ホルブルックが何とも味わい深い。ハル・ホルブルックといえば「ダーティハリー2」の悪い上司くらいしか思い浮かばないのだが、こんなにいい役者だったのかと驚いた。「インディアン・ランナー」のチャールズ・ブロンソンも良かったし、ショーン・ペンは老俳優の演出が上手い。この辺は俳優出身の監督ならではの持ち味かもしれない。

 主人公は様々な人々との出会いを経て、最後は徒歩でアラスカの雪原へと分け入る。打ち捨てられた廃バス(マジックバス!)を根城にサバイバル生活を送るが、やがて餓死してしまう。(そういった意味では「イントゥ・ザ・ワイルド」は「自分探し」と言うよりは自分探しに失敗した男の話なのだ)間違って毒草を食べてしまい衰弱しきった主人公は、死に際に両親と再会し抱き合う様を思い浮かべる。それで終わり、ではない。主人公はさらにこんな事を思うのだ。「もし両親の元へ戻ったら、自分が見た風景を、両親も理解してくれるだろうか?」廃バスの窓から見える抜けるような青空。それは主人公が最後に見た風景だ。これには泣いた。そしてこの映画は、旅を通じて主人公が再び「クリストファー・マッカンドレス」という本名を取り戻すまでの物語でもある。素晴らしい。やはりショーン・ペンは信頼できる。これからも新作が来たら必ず見に行くぞ。

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2008年10月25日 (土)

「あの胸にもういちど」(ジャック・カーディフ)

その筋では有名な作品ながら今まで未見だった「あの胸にもういちど」(1968)見る。裸に黒革のライダースーツを着てハーレーを乗り回すマリアンヌ・フェイスフルは、「ルパン三世」の峰不二子の元ネタともいわれている。

レベッカ(マリアンヌ・フェイスフル)は夫がありながら、愛人ダニエル(アラン・ドロン)との関係を断ち切れずにいた。ある朝、彼女は夫の寝ている間に起き出すとライダースーツに身を包み、オートバイを駆って愛人の元へと向かうのだが・・・。

甘ったるい邦題からてっきり恋愛映画かと思っていたら、どうも様子が違う。三角関係の話が展開するのかと思いきや、原題(「THE GIRL ON A MOTORCYCLE」)そのままに、映画はひたすらバイクを飛ばすヒロインの姿を映し出す。その合間に回想やイメージショットが挿入されるという手法。

監督はジャック・カーディフ。カーディフは「赤い靴」(1948)、「黒水仙」(1946) などの撮影で知られる名カメラマンで、フライシャーの諸作や、「ランボー/怒りの脱出」なんてのまで、息の長い活躍を続けている。 2000年にはアカデミー名誉賞を受賞するなど立派な人なのだ。ところがカーディフの監督作品といえば、すぐに思い浮かぶのはドナルド・プレザンス主演の陰気なB級ホラー「悪魔の植物人間」(1973)! そのせいと言う訳でもあるまいが、「あの胸にもういちど」などという甘美な邦題とは明らかに異質な手触りの映画で、まるでホラー映画のようだった。映画はヒロインが夢から醒める場面から始まる。明け方の屋敷の上空を鴉が飛び交う映像の不吉な感覚。愛人との逢瀬を想像しながら薄ら笑いを浮かべてバイクを飛ばすヒロインはどう見てもアブない人。挿入される回想シーンやイメージシーンの映像処理もまるでアシッドムービーのようだ。愛人アラン・ドロンはまるで内面の見えない人物として描かれており、ヒロインを堕落させる悪魔のよう。ラストシーンの描き方などまるで恋愛映画とは程遠く、度肝を抜かれること必至。いやあヘンな映画だったなあ。

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2008年10月22日 (水)

「パンダコパンダ」「パンダコパンダ 雨降りサーカスの巻」(高畑勲)

たまにはほのぼの系も良かろうと思い、ジブリアニメ「パンダコパンダ」(1972)「パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻」(1973)見る。演出は高畑勲、原案・ 脚本・画面設定は宮崎駿、作画監督は大塚康生。1人で留守番する女の子と動物園から逃げ出してきたパンダの親子の交流を描く1作目、町にやってきたサーカスの子トラとの交流を描く2作目。どちらもジブリアニメのいいとこが凝縮されたような短編であった。宮崎アニメお得意のモチーフがあれこれ散見されるのも興味深い。主題歌(歌水森亜土)も楽しいし、「ポニョ」もこれくらいシンプルでも良かったんじゃないかと思うぞ。

気になったのは、1作目の冒頭で法事があると電車に乗ったおばあさん。2作目ではまだ長崎にいた。小学生一人放置して大丈夫か? 本当に法事なのか?

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2008年10月19日 (日)

「赤い影」が感動的な理由は・・・

 久しぶりに「映画秘宝」立ち読みしたら、ウェイン町山氏による「赤い影」(ニコラス・ローグ監督)の記事が。「赤い影」が何故あんなに胸を打つのか、的確に押さえていて思わず膝を打った。そうなんだよなあ。個人的に「赤い影」が年々特別な映画に思えてくるのはやっぱりその辺に理由があったのだ。

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2008年10月18日 (土)

「アメリカン・ギャングスター」(リドリー・スコット)

 リドリー・スコット監督「アメリカン・ギャングスター」(2007)見る。1970年代のN..を舞台に、麻薬ビジネスでハーレムを取り仕切るフランク・ルーカス(デンゼル・ワシントン)と、麻薬捜査班のリーダー、リッチー・ロバーツ(ラッセル・クロウ)の駆け引きを描く実録犯罪物。脚本はスティーヴン・ザイリアン。

 何せ70年代が舞台の実録犯罪ものとくれば、「フレンチコネクション」の興奮よもう一度と見始めた。冒頭が商売敵?を殺す主人公の姿で、映画が始まるとリドリー・スコットはドキュメンタリー・タッチで黒人街を活写していく。否応無しに期待は高まったのだが・・・。これが何とも真面目な映画なんだな。主人公フランク・ルーカスは麻薬ビジネスを取り仕切る顔役だが一切表には出てこない。ビジネスマンのようなスーツを着こなし、余暇は必ず妻と過ごす。一方のリッチー・ロバーツは一切の賄賂を受け取らない堅物で、同僚から疎まれる存在。この二人の真面目な性格に合わせたのか、映画は派手な見せ場はほとんどなくて肩透かし。いや157分の長尺、十分飽きずに見れたんだけど、もっと娯楽でもいいんじゃないかと思ったなあ。「事実をベースにした」ってところがクセ者か。ならば、せめて音楽やファッションはもっとファンキーでもいいかなあと思う。映画っぽさという点では、同様の題材であるスコセッシの「グッドフェローズ」「カジノ」なんかの方が全然上だと思ったなあ。

 「事実をベースにした」面白さを感じたのはラスト。フランク・ルーカスとリッチー・ロバーツのその後には「ええっ?」と思わず声を上げたくなるような驚きがあった。さすがアメリカだよなあ。さておきこの映画のテーマは「他人の上がりをくすねるような奴らが一番悪い」ってことですかね。

 主演の二人はともかく、汚職警官を演じるジョシュ・ブローリン、そして70年代ファッションに身を包んだ脇役のチンピラたちや捜査官たちの顔つきが楽しかった。

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2008年10月17日 (金)

「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」(ティム・バートン)

劇場で見逃したティム・バートン監督「スウィーニー・トッド フリート街の悪魔の理髪師」2007年)ようやく見る。トニー賞受賞のブロードウェイミュージカルを完全映画化。と聞くとティム・バートンが何で?という感じだが、そこは霧に煙るロンドンが舞台、剃刀で喉を裂く殺人理髪師と死体でパイを焼く中年女が主人公とくれば納得の起用であろう。

無実の罪で投獄させられ、妻子を奪われた理髪師ベンジャミン・バーカー(ジョニー・デップ)。15年後、街に戻ったベンジャミンは「スウィーニー・トッド」と名を変え、自分を陥れたタービン判事(アラン・リックマン)への復讐を開始する・・・。

大スター、ジョニー・デップが主演するハリウッド・メジャーのミュージカル大作、にも関わらずこの暗い映像、てんこ盛りのスプラッター描写には感心した。ジョニー・デップ&ヘレナ・ボナム・カーターの目の下にクマカップルがいかにもバートン映画らしい。ちゃんとホラー映画なのだからして、当然のようにバッドエンディングなのにも納得。ミュージカルとしては、それほど印象に残るキャッチーな曲が無いと思ったが。充分楽しんだのではあるが、バートンにしてはやけに堂々とした演出でかえって落ち着かない感じがしたなあ。

ちなみに、同じ題材でジョン・シュレシンジャー監督「スウィーニー・トッド」(1997年)というのもある。主演はベン・キングズレー(「ガンジー」)。未見だけど、こっちはもっと陰気そうだなあ。

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2008年10月16日 (木)

「ベオウルフ/呪われし勇者」(ロバート・ゼメキス)

 ロバート・ゼメキス監督「ベオウルフ/呪われし勇者」見る。剣と魔法の世界を舞台に、勇者ベオウルフが怪物と戦い国を治めるヒロイックファンタジー。映像は前作「ポーラー・エクスプレス」同様に、レイ・ウィンストン、アンソニー・ホプキンス、ジョン・マルコヴィッチ、ブレンダン・グリーソンら俳優たちの演技に、CG処理を施したもの。アクション場面ではかなり残虐でドギツい見せ場が連続、戦士たちが交わすエロ話や、メインとなる「父親たちの罪」のエピソードなどを見てもゼメキスとしてはオトナ向けに仕上げたかったのだろう。が、スケール感に乏しい息苦しい雰囲気と、CG処理した映像の妙につるりとした質感に馴染めず、どうにもキモチ悪い映画だったなあ。ベオウルフが全裸で怪物と戦う場面やクライマックスの竜との戦いなど本来力感に溢れたアクション場面になりそうなものを、CG映像のせいでゲームのデモ画面(もしくは「シュレック」)みたい。CG画面に慣れたゲーム世代にヒロイックファンタジー本来の魅力を伝えようという意図でもあったのかなあ。ゼメキスの思惑はともかくとして、映像と内容がアンバランスというか、これなら普通に実写でいいじゃんと思った。

 主人公ベオウルフ(レイ・ウィンストン)はすぐにマッパになるマッチョ系で、勇者というよりも自慢話の好きな誇大妄想狂のようだ。実は人間的な弱さを併せ持ったキャラクターという設定(怪物の母親アンジェリーナ・ジョリーに誘惑されてそのことを王妃に告白できずにいる)もわかるが、どうにも感情移入不能で参った。前半に出てくる泣き叫ぶ怪物役はクリスピン・グローヴァー。王妃役のロビン・ライト・ペンは明らかに本人の方が美人だよ。アンジェリーナ・ジョリーはそのまんま。いいのか、あんなんで。

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2008年10月12日 (日)

「血と暴力の国 NO COUNTRY FOR OLD MEN」(コーマック・マッカーシー)

映画が気に入ったので、「ノーカントリー」原作「血と暴力の国 NO COUNTRY FOR OLD MEN」(コーマック・マッカーシー)読んでみた。「ノーカントリー」って意味不明のカタカナ邦題も凄いが、「血と暴力の国」ってストレートな邦題も凄いなあ。物語の雰囲気は上手く伝えていると思うが。

で、全ては原作小説の中に存在していたのであった。単なる犯罪小説と呼ぶには明らかにジャンルの境界を踏み越えた異質な作品ではあるのだが。映画よりも登場人物の背景や脇役のその後が若干詳しく描かれている位で、テーマや物語はほとんどぶれずに映画に移植されている。心理描写をほとんどせずに、登場人物の会話と行動と情景描写がひとつながりとなったような独特の文体(会話には「」がない)は映画の脚本のようでもある。

読後に考えたのだが、もしも金を持ち逃げしたモスひとりが語り部ならば普通の犯罪小説に収まってただろうし、殺し屋シュガー(映画ではシガーとなってたっけ)が語り部ならよりジム・トンプソン的な狂気の世界に踏み込んでいただろう。コーマック・マッカーシーはそこにもうひとり、老保安官ベルを語り部として配置した。長年「血と暴力の国」で暮らしてきたこの老人は、かつて戦争で、今は保安官という仕事を通して否応無しに「血と暴力」を見てきたはずだ。老保安官の存在によって運命論的なテーマが際立っていると思う。小説の中で、「血と暴力の国」の生き残りであるこの老人だけが昔話や夢語りといった長い独白を許されている。最後の夢の話にはどうしようもない虚無感を覚えるが、「月の色をした牛の角」のイメージは感動的で忘れがたい印象を残す。

ちなみに、映画版で最も印象的だったのは、トレーラーハウスに侵入した殺人者(と、後に保安官も)が、電源の切れたTVに亡霊のように映りこんだ自らの姿を見るショットである。この場面は原作にも存在するが、素っ気無い文章で描かれているだけだ。この場面を外さずにきちんと映像化して印象的な画面をものにしている辺りはさすがコーエン兄弟と感心した。

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2008年10月11日 (土)

「ノーカントリー」(ジョエル・コーエン、イーサン・コーエン)

ようやく見ましたコーエン兄弟のアカデミー賞受賞作「ノーカントリー」(2007)。原題はNO COUNTRY FOR OLD MEN、映画を見終えてみるとその意味がじわじわと染みてくるようだ。

テキサスの荒野で、麻薬取引絡みの大金を持ち逃げしたモス(ジョシュ・ブローリン)。その後を組織から依頼を受けた殺人者シガー(ハビエル・バルデム)、事件を捜査する老保安官ベル(トミー・リー・ジョーンズ)が追跡するが・・・。

コーエン兄弟といえば、「ブラッドシンプル」(1984年)以降、ほぼリアルタイムで見ていると思う。「バートン・フィンク」「ファーゴ」「ビッグ・リボウスキ」なんかとても好きで、ノワール・ジャンル寄りなところも興味を惹かれてきた。が、ここ何作かはどうも喋りすぎっていうか画面作りこみすぎっていうかお勉強臭いっていうか、必要以上に饒舌な感じがして嫌だった。モノクロの犯罪映画「バーバー」(2001年)なんて企画は悪くないし実際かなりいいセンいっってると思ったが何か小賢しい感じがして好きになれなかった。話題作「ノーカントリー」を劇場まで見に行くのを躊躇してしまったのもそんな理由による。

で、本作。これは間違いなくコーエン兄弟近年のベストワークと言って差し支えないであろう。不安要素だった不必要な饒舌さは皆無。何せ必要以上の説明が一切省かれており、映画はシンプルこの上ない。全編歯切れの良い描写で緊迫感が途切れない展開で、犯罪映画ってやっぱりこうじゃなきゃいかんと膝を打つ面白さ。即物的なバイオレンス描写も素晴らしい。実のところテーマはかなり重たいもので、鑑賞後は虚無感に囚われること必至の暗さではあるが、そんな後味の悪さも良い。トミー・リー・ジョーンズの疲れ顔(かつてならロバート・ライアンの役どころか?)、インパクト絶大なハビエル・バルデム、ジョシュ・ブローリンら陰影に富んだ存在感を見せる役者たちの名演技は素晴らしい。思わせぶりに登場する仕事人ウディ・ハレルソンの扱いには大笑いだ。

映画の前半で、殺戮現場から金を持ち逃げしたモスが、死にかけのギャングが水を欲しがっていたのが忘れられず夜中にまた現場に戻ってしまう場面がある。そのせいでモスは足が付いて組織に追い回されることになるのだが、このモスの行動について映画は必要以上の説明をしない。そこがいい。モスの優しさから出た行動なのか、後半モスがベトナム帰還兵であることがわかるのでもしや戦場で似たようなことがあったのかもしれないなあ、とか観客は想像するだけだ。

映画の最後は、引退した保安官が妻に夢の話をする場面。画面が暗転し、エンディングクレジットになって始めて音楽が流れ、奇妙な余韻を残したまま映画は終わる。そういえばコーエン兄弟の旧作「赤ちゃん泥棒」の最後も夢の場面だったなと思い出した。それまでのスラップスティックなトーンと明らかに違った奇妙な夢の話で終わるのが印象的だった。

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2008年10月 7日 (火)

安っぽい映画のワンシーンみたいに

 悪夢を見て、自分の悲鳴で目が覚めた。汗びっしょりで。動悸が激しくて。どんな夢だったかというと、ニコラス・ローグの「赤い影」のラストみたいな感じの。自分の悲鳴ってのがまた「ギャー!」とか「ヒィー!」とかじゃなくて、「うぉおおおあああああああああああああああ」というようなまるで呂律の回らなくなった酔っぱらいみたいな不快な呻き声でヤだった。

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2008年10月 5日 (日)

「狙撃者」(マイク・ホッジス)

 で、今日は「ゲット・カーター」映画版「狙撃者」1971)見直してみた。ストーリー展開はテッド・ルイスの原作にほぼ忠実。OPのクレジットでは「Jack's Return Home」のタイトルになっていたな。どんより曇った天気、見事なロケーション(古ぼけた町並み、雨降りの競馬場、立体駐車場、船着き場など)、いかにもイギリスらしい俳優たちの顔つきなどとても面白い。原作よりエロ味が増しているのも面白かった。そして、何と言ってもロイ・バッドのテーマ曲が最高にクール。OPであの曲が流れ出した時にはゾクゾクした。

 主人公ジャック・カーター演じるのはマイケル・ケイン。復讐のためなら手段を選ばない冷徹な主人公にピッタリとハマっている。あの冷たい目は一度見たら忘れられないであろう。原作では主人公の回想で兄弟の思い出が語られ、愛憎半ばする兄への思いと復讐へと主人公を駆り立てる要因が丁寧に描かれていた。ところが映画版ではそこをバッサリとカット。その為、ハードボイルド感覚はさらにアップしている。主人公の行動にはどことなく「ポイント・ブランク」のリー・マーヴィンを思わせるような常軌を逸した感覚もあって面白い。

 クライマックス、主人公カーターはライフルを手にして復讐へと向かう。が、とどめに銃は使わないのだ。では、邦題にある「狙撃者」とは? そこに原作を微妙にアレンジした映画オリジナルのひねりがあってまた良かった。曇天と暗い海、寂寥感漂うラストは今の自分の気分にあまりにもシンクロしてきて泣けた。

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2008年10月 4日 (土)

「ゲット・カーター」(テッド・ルイス)

 町中キンモクセイの香りが漂っている。もうすっかり秋だのう。

 先日、久々に本屋を物色していたら、こんなものが出ていたのか!と驚いて手に取ったのが「ゲット・カーター」(テッド・ルイス)。マイケル・ケイン主演の伝説的なハードボイルド・アクション「狙撃者 Get Carter(1971)の原作小説で、扶桑社文庫から新訳復刊での登場である。文庫の帯に曰く「ブリティッシュ・ノワール史上、最高の作品」。解説によると、元々は「Jack's Return Home」というタイトルだったが、映画のヒットにあやかって小説も「Get Carter」と改題されたのだという。未訳だが、同じ主人公が活躍するシリーズもあるようだ。

 主人公ジャック・カーターは兄フランクが死んだという知らせを受けて、故郷に帰ってくる。事故死したといわれるフランクの死に疑問を持ったジャックは真相を突き止めるため調査を開始。地元のギャングや有力者たちを巻き込んで復讐を展開する・・・というストーリー。地方都市の悪党たちや町の描写に妙なリアリティがある。また、パブが度々登場し、酒場の雰囲気や客の生態が丁寧に描かれる(登場人物たちはやたらに酒を飲むのだ)ところや、主人公がサッカーの観客に紛れて逃走したりといった描写が実にイギリスらしくて面白かった。

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