「幻影の書」(ポール・オースター)
ポール・オースターの近作「幻影の書」(2002年)読む。
オースターと言えば、学生時代に「幽霊たち」(1986年)でショックを受けて以来、ずっと追い続けている作家だ。初期のニューヨーク三部作(「幽霊たち」「シティ・オブ・グラス」「鍵のかかった部屋」)、鮮烈な青春小説「ムーン・パレス」、不可思議なギャンブル小説「偶然の音楽」、等々どれも大好きだ。当ブログの冒頭に掲げた呪文みたいな文章も、実はオースターの「孤独の発明」からの引用だったりする。
ところが90年代後半になって、「スモーク」「ルル・オン・ザ・ブリッジ」「ナショナル・ストーリー・プロジェクト」等がどうも好きになれず、ここしばらくはオースターから遠ざかっていた。「幻影の書」を読む気になったのは、どうやら映画ネタだと知ったからである。
妻子を飛行機事故で亡くした大学教師デイヴィッドは、偶然TVで目にしたオールド・ハリウッドの喜劇俳優ヘクター・マンにのめり込む。ヘクター・マンはハリウッドでの大成功を目前にして謎の失踪を遂げ、以来60年も消息不明だった。デイヴィッドは悲しみを紛らわす為に、世界中のシネマテークを駆け廻り、残されたヘクター・マンの作品を見まくって研究書執筆に没頭する。やがて出版された研究書に対し、ヘクター夫人を名乗る手紙が届く。何とヘクターはまだ生きており、未公開の作品を上映したいと言うのだ・・・。
主人公の人生の危機を救うのが1本の喜劇映画、とくればウディ・アレンの「ハンナとその姉妹」の一場面を思い出す。自殺を思い立ったウディ・アレンはふと立ち寄った映画館で見たマルクス兄弟を見て、自殺を思い止まるのだった。絶望の淵にあった「幻影の書」の主人公デイヴィッドも、偶然目にしたサイレントの喜劇映画で生きる気力を取り戻す。映画好きならば、まずはここにグッと引き込まれるではないか。
もちろん、「幻影の書」はそれでおしまいとなるような単純な小説ではない。映画によって救われる人間もいれば、映画によって破滅していく人間もいる。世間を逃れたヘクター・マンがニューメキシコの砂漠に作った彼だけの撮影所の興亡は興味深い。
劇中に登場する喜劇俳優ヘクター・マンは架空の人物だが、その成功と挫折は正に「ハリウッド・バビロン」の世界。「幻影の書」は、「冷たい心の谷」(クライヴ・バーカー)、「ブラックダリア」(ジェームズ・エルロイ)、「フリッカー、あるいは映画の魔」(セオドア・ローザック)同様に、ケネス・アンガーの「ハリウッド・バビロン」Ⅰ・Ⅱを副読本として読みたい小説だ。
「幻影の書」は映画マニアを刺激する細部に満ちているばかりか、単純に面白い「物語」だったのが嬉しかった。終盤に至っていつものオースターの例に漏れず暗い展開になるけれど、ラストはいつになく前向きな印象。それがまた嬉しかった。
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