「グラン・トリノ」(クリント・イーストウッド)
年末休みに入ったら映画見まくってやろうと意気込んでたのだけれど、やっぱりそんなことは不可能なのであった。まあ薄々予想していたことではあるけれど。それはさておき。
クリント・イーストウッド監督・主演「グラン・トリノ」。2009年のベストワン。これは4月に劇場で見たのだけれど、ちょうどテンパっててブログが中断してる時だったので、改めて書き記しておきます。ちなみに4月は「チェンジリング」「グラン・トリノ」と2本のイーストウッド作品を劇場で見ることが出来た。しかも2本とも超絶的な傑作だったという。こんな奇跡は2度と起こらないだろうなあ。
「グラン・トリノ」はイーストウッド演じる頑固爺さんが、隣人となったモン族の人たちと交流する内に人間らしさを取り戻し、人生に決着を着けるまでを描いたヒューマン・ドラマ。そこに現代アメリカの様相を巧みに織り込んでいる。イーストウッドお得意の師弟もの、疑似家族ものでもある。
イーストウッドは僕らにとって常にスターであり続けた。少年時代、TVの吹き替え洋画劇場でその存在を知り、ある時期からはリアルタイムで新作を見続けてきた。(個人的に、リアルタイムで劇場で見た最初は80年の「ダーティファイター 燃えよ鉄拳」だったりする) 映画雑誌で若い頃のポートレートを見たことがあるし、ドキュメンタリーで下積み時代の映像も見たことがある。伝記本も読んだ。そのせいだろうか、「グラン・トリノ」でイーストウッドが演じるコワルスキー老人を見た時、「自分はこの爺さんを知っている」という不思議な感覚を覚えた。
実際、コワルスキー老人はイーストウッドがこれまで演じてきた様々な役柄の集合体のような独自の存在感がある。チンピラ相手に凄んで見せる場面などさすが元ダーティハリーという迫力。一方で、気に喰わないことがあると「ウーッ」と犬みたいに吠えてみせたり、隣人とのやりとりにはユーモラスな一面も見せる。コワルスキー老人/イーストウッドが最後にどういう決着を着けるのか? これは涙なくしては見れまい。エンディングで本人の歌声(「センチメンタル・アドベンチャー」で聴かせてくれた、囁くような歌声だ)が聴こえてきた時には、ついホロリとしてしまった。
自作自演でこれ程まで見事に自らの幕引きを見せてくれたスターは他にいないのではないだろうか。さておき、イーストウッドのファンで本当に良かった。映画館でイーストウッドの雄姿を見れて本当に良かった。
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